有賀喜一牧師が新使徒運動に関わったことに関して、反省の弁を述べられたことは、以前、チラと耳にしていた。
しかし、まさか学歴詐称もしておられたとは・・・
個人的には何度か超教派の集会でお見かけしたぐらい。
なんとな〜く苦手なタイプかも、という印象しか抱いていなかった人物ではある。
しかし、聖霊派の中ではそれなりに名の知れた先生だった。
それなりに残念には思う。
この世的には、もう有賀氏は91歳なんだから、墓場まで持って行っても良かったんじゃない?
と思わなくもない。
しかし、クリスチャンのはしくれとしては、そのままあの世に旅立ったのでは永遠に後悔することになったろうとも思う。
だから、今回すべてを曝け出したことは良かったと思う。
とはいえ、もっと早く悔い改めていたらなぁ・・・とも思うし、そもそも、なんで経歴詐称なんて?と不思議である。
私は性格的に自分を実際よりも小さく見せてしまうほうである。
よく言えば謙遜、悪く言えば自己卑下するタイプだ。
しかし、この世には、自分を実際より大きく見せたがる人も結構いるらしい。
中には、そのためには嘘をつくことさえ辞さない人もいる。
そして、有賀氏もそんな一人だった。
そういえば、某東京都知事も学歴詐称をしたなとふと思い出した。
もしかすると、自ら上に立とうとする人の中にはそのような思考回路を持った人の割合が多いのかもしれない。
思考回路が違うと、同じ日本語を話していても、まったくお互いに理解できないことがままある。
では、その思考回路の違いはどこから生じるのだろうか?
損得の勘定が先立つ人と、善悪の判断が先立つ人とは、何が違うのだろうか?
同じような環境で育っていても、その傾向が違っていることもよくあること。
そうならば、それは遺伝によって決まるものなのか?
なんて、考えはじめるとキリがない。