Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

悪を徹底的に憎む

主を恐れることは悪を憎むこと。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれごとを言う口を憎む。

箴言8章13節

学び

「主を恐れることは知識の初め」(箴言1:7)とあるが、神に対する健全な畏怖の念は信仰の基本中の基本である。どんなに信仰の年数を重ねても、どんなに聖書に精通しても、神に対する畏怖の念のない人は簡単に罪を犯し、あっけなく神から離れてしまう。死に至るまで忠実に信仰を守りたいと願うならそうであってはならない。

私たちは神への畏怖の念を悪から離れることによって表すが、そこには「悪」に対する憎悪の念がなければならない。それぐらいの思いがないと「悪」と距離を置き続けることは難しいだろう。悪はしばしば人間にとって魅力的であるからだ。

しかも、その悪が十戒に違反するような悪ではなく、「高ぶり」や「おごり」などの心理的なものだったり「ねじれとごと言う口」などの私たちが不用意に発してしまう言葉に関わることとなると、よっぽ意識していなければそれらの罪から離れることは困難である。それらに対する「憎悪」の念がなければ、すぐに神に喜ばれない口の言葉、心の思いに汚されてしまうだろう。

では、どうすれば私たちは「悪」に対する憎悪の念を持つことができるだろう?まずは神の前に何が悪なのかを知ることだ。次に、その悪が私たちにもたらす弊害を知ること。そして、最も重要なのは神の霊に満たされ、神の悪に対する憎悪を自らのものとすることである。

祈り

私の口の言葉と心の思いが常に御前に受け入れられるものでありますように(詩篇19:14)。そのためにも私が「悪」に対して敏感な霊的な状態を維持することができますように。

この世の罪汚れは一見、魅力的な衣をまとって近づいて来ますが、その外面に惑わされることなく、どんな小さな罪でも避けることができますように。

そのためにもあなたがどれほど悪を憎んでおられるかを聖霊に満たされることによってさらに深く知ることができますように。そして、自らの口から神に喜ばれない言葉を、心からも神に喜ばれない思いを、徹底的に追放していくことができますように。