Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

わたしの家は祈りの家

「わたしの家は祈りの家でなければならない」と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを「強盗の巣」にした。

ルカの福音書19章46節

学び

イエスがエルサレム神殿に入られた時、そこにあったのは敬虔な祈りの雰囲気ではなく、どす黒く蠢く商魂から漏れ出る腐臭であった。イエスはそれに激怒し、神殿の境内から商売人を追い出された。彼らはそれが悪いともなんとも思っていなかったであろうから、イエスの言動に戸惑ったことだろう。また後になってイエスに憎悪の念を抱いたことだろう。

しかし、父なる神とひとつ心となっていたイエスは、神殿に神のみこころを求める「祈り」ではなく、自分たちの欲望を満たそうとする「貪り」が満ちていたことに、父なる神の深い悲しみを感じたのであろう。それが怒りとなって爆発したのだ。新約の時代になり、幕屋、そして神殿が象徴していたものは教会であり、またクリスチャン個人であることが明確になった。私たちは父なる神が喜ばれる神殿となっているだろうか?私たちの内には祈りが満ちているだろうか?それとも貪りが満ちているだろうか?神を悲しませているだろうか?それとも神を喜ばせているだろうか?

祈り

あなたは私を祈りの家で楽しませてくださる方です。私もあなたの祈りの家で一日中思いにふけることを何よりも望んでいます。どうぞ、私自身を祈りの家として整えてください。私のうちに常に祈りが満ち溢れますように。そのためにも、私がさらに祈りについて深い理解を得ることができるようにお助けください。あなたが弟子たちに祈ることを教えられたように、私にも祈ることを教えてください。祈りこそが、私の喜び、私のいのち、私のすべてです。