Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

ヨベルの年

あなたがたは五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰る。

レビ記25章10節

学び

7年に1回の「安息の年」が7回繰り返された翌年の年。7回目の「安息の年」は49年目になるので、50年目が「ヨベルの年」である。

「安息の年」とは土地を休ませるための休耕の年、また同胞に対する全ての負債の免除を実施する年である。「ヨベルの年」はその「安息年」の大型版と言っても良いだろう。前年の安息の年の休耕は継続され、奴隷は解放され、さらには、先祖代々の土地も無償で返還される。すなわちそこで経済がリセットされるのである。

ヨベルの年が実施されることで、多くの人が人生をやりなおすチャンスを与えられ、貧富の差の拡大も最小限に留められた・・・はずだった。しかし、残念なこと、ヨベルの年が定められてからこのかた、それが実施されたことはない。

その理由は簡単である。この制度は持てるものにとっては面白くない。時の為政者となる人々は「持てるもの」であったろうから「ヨベルの年」がなおざりにされたのは当然のことと言えば当然である。すべての人が、特に「持てる者」が成熟しなければ、ヨベルが実施されることはないだろう。ということで、これまでも、そして、これからも「ヨベルの年」が守られることはないだろう。

では、なぜ神は「ヨベルの年」を与えられたのか?それはこれがイエス・キリストによる人類の解放を予表となる制度であったからではなかろうか?「ヨベル」とは「雄牛の角」を意味する言葉であり、それは「ラッパの響き」「喜びの響き」を象徴するものである。

私はそれに「ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられる」(1コリント15:52)とのみことばを想起させる。そこにおいて、私たち人間の救いは完成するのである。すなわち、私たちは罪の支配から完全に解放され、神の子の自由に入れられるのである。

祈り

イエス様、私はあなたの十字架の血という尊い代価によって贖われたことを感謝します。今、私はサタンの支配から神の支配へ、罪の奴隷から義の奴隷へ、偽りの解放から真の解放へと入れられていることを感謝します。どうぞ、私がこの素晴らしい自由を無駄にすることなく、神と人とに仕えるために用いていくことができますように。この喜びをひとりでも多くの人々に伝えていくことができますように。