Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

しもべとして生きる

なぜあなたがたは、わたしを「主よ、主よ」と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。

ルカの福音書6章46節

学び

「なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか」という訳を、もっと分かりやすくするなら、次のようになるだろう。「わたしを『ご主人様、ご主人様』と呼んでいるのに、いざ私が何かを命じるとそれに従おうとしないのは何故ですか?(あなたは自分がわたしのしもべであることが分かっているのですか?)」。

私たちは「イエスを主と告白」(ローマ10:9)することによって救いにあずかった。しかし「イエスを主と告白する」ことの意味を理解している人はどれだけいるだろうか?イエスを主と告白するとは、イエスが自らの主人であることを認めること、それはとりもなおさず、自らがそのしもべであり、主人であるイエスが命じることに問答無用に「はい!」と従う者となることを宣言することなのである。そして、ただ宣言するだけでなく、実際にしもべとして生きる時にはじめて、私たちの信仰の歩みは確かなものとなるのである。

祈り

私はあなたのしもべとして召されたはずなのに、そのことを忘れて、あたかも自分が主人のようにふるまってしまうことがあります。どうぞ、その罪を赦してください。イエス様、私があなたを自分が幸せになるための手段かのように思うことのありませんように。私はあなたに従うように召されたしもべです。どうか、これからの人生において、しもべとしての分を果たしていくことができますように。忠実なしもべとして、主人であるあなたを喜ばせることができますように。小さなことに忠実であり続けることができますように。たとえ、大きなことを任され、それを成し遂げた時でも「なすべきことをしただけです」と、決して高慢になることがありませんように。