Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

なぜ二つの異なるキリストの系図があるのか?

イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と考えられていた。ヨセフはエリの子で、さかのぼると・・・エノシュ、セツ、アダム、そして神に至る。

ルカの福音書3章23節-38節

学び

イエス・キリストの系図は実に驚きと不思議に満ちている。そのような中、実に不可解なこともある。それに触れる前に、マタイの福音書1章とルカの福音書3章に記された系図の一目瞭然な違いについて確認したい。

マタイの系図は神から特別な祝福の約束を授かった始祖アブラハムからイエスまで降る。しかし、ルカの系図はイエスから遡り、始祖アブラハムを越え、最終的にはアダム、そして神まで遡る。この相違は、マタイの福音書とルカの福音書の想定する主たる読者の相違によるという説明で納得がいく。

理解に苦しむのはマタイの系図におけるヨセフの父と、ルカの系図によるヨセフの父が異なることだ。マタイではヨセフの父はヤコブとなっている。しかし、ルカではヨセフの父はエリとなっている。両者は全くの別人なので、そこから遡る先祖たちも当然異なってくる。両系図が一つとなるのは古代イスラエルの王ダビデにおいて。どちらの系図おいても、イエスはダビデの子孫ということになるので、預言の成就としては問題はない。

とはいえ、なぜ二つの異なる系図が記されているのだろう?ひとりの人物に二人の実父がおり、二つの系図があるのは誰が見ても不自然だ。聖書の編者がそれに気づかず、両者そのままに記載したとは考え難い。あえて、そのまま記載したと思われる。その一つの可能性として福音書が記された当時においては、これら二つの系図に違和感を覚えるものではなかったとも考えられる。では、なぜ違和感を覚えなかったのだろう?

一説にはルカの福音書の系図は実際はヨセフの系図ではなく、妻であるマリアの系図ではないか?というものもある。つまり父として記されている「エリ」はイエスの父ヨセフの義父だったのだろうと。個人的にはその説がしっくり来る。しかし、この説も確証があるわけではない。おそらく、他にも説はあるだろうが、それらを含めて現時点ではこれが絶対と言えるものはないようだ。

明確なことは、マタイにしろ、ルカにしろ、神の約束されたダビデの子孫、すなわちメシヤはナザレのイエスである、ということを特に強調しようとしていること。

聖書には裁判などで事実を確認するためには「二人か三人の証言によって、そのことは立証されなければならない」(申命記19:15)とあるが、マタイの系図、そしてルカの系図の二つの証言によって、イエスがキリストであることを立証しようとする意図もあったのかもしれない。

祈り

愛する天の父よ、あなたはその約束に従って、ダビデの子孫であるキリスト・イエスを私のために遣わしてくださいました。今、私はイエス様の十字架のみわざによって、罪赦され、神の子供とされ、永遠の希望を持って生きることができることを心から感謝します。私もまたあなたの祝福の約束に入れられている者として、さらにあなたの預言のことばをしっかりと握り、あなたとともに歩んでまいります。どうぞ、私の歩みをさらに確かなものとしてください。そして、あなたの祝福の約束を私の人生に実現してください。