Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

旧約の神も新約の神も「愛」

あなたがたが自分の土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない。

レビ記19章9節

学び

多くの人にとって新約聖書の"神"は「優しい神様」、そして、旧約聖書の”神"は「厳しい神様」というイメージがあるのではなかろうか。それゆえに旧約に登場する神が愛なる神に感じられない人もおられるだろう。しかし、新約の神も旧約の神も同じ神。旧約聖書に登場する神ももちろん愛なる神である。

「見なさい、神のいつくしみと厳しさを」(ローマ11:22)とあるとおり、愛には「優しさ」だけでなく「厳しさ」も含まれる。もし、愛がただただ優しいだけだとしたら、それは本当の優しさではなく甘さであり、真実の愛とは言えない。

確かに旧約聖書では父なる神の厳しさが目立つ。しかし、旧約聖書もよく読んでいくなら、そこには神のあふれるばかりの愛を見出すことができる。特にレビ記19章には神の細やかな愛が記されている。

レビ記19章9節では「畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。収穫した落ち穂を拾い集めてはならない」とあるが、その理由は次の節の後半に記されている。

それは「貧しい人と寄留者のため」の食糧とするためであった。つまり、神は貧しい人や、外国人などの弱い立場にある人々に配慮するようにとイスラエルの民に教えられたのである。

この19章にはイエス様が一番大切な戒めとして挙げられた「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(18節)との言葉が記されている。19章全体は、その隣人への愛の具体的な実践なのだ。

私たちもまた隣人への愛を具体的な実践として表すものでありたい。自分自身のように隣人を愛する者となりたい。

祈り

愛する天の父なる神様。あなたはとこしえからとこしえまで愛なる神です。今日も、今この瞬間もあなたの愛が私の上に豊かに注がれています。あなたはその愛をイエス様の十字架によって示してくださいました。

あなたは私がまだ罪人であった時から、あなたを拒んでいた時から、私を愛し、私のためにその命を捨ててくださいました。私はその愛をもっと深く知りたいのです。そして、自らもその愛をもって人々に仕える者となりたいのです。どうぞ、私を聖霊によってあなたの愛で満たし、その愛を押し流す器として用いてください。