Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

いのちとして宥め(贖い)を行うのは血

実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。

レビ記17章11節

学び

「血を食べてはならない」と神が命じられたのは「生物の命は血にある」から、また「血にはたましいのために宥め(贖い)を行う働きがある」から、とされる。ディボーショナル聖書注解では、その他の理由として(1)血を食べることは異教的習慣であった(2)血を飲むことはいけにえが象徴するものを消す行為であった(3)血液を媒介する伝染病から守るためだった、ということが挙げられている。(2)の「血を飲むことはいけにえが象徴するものを消す行為」とはどういうことなのか?現時点では私にはよく意味が分からない。ただそれが否定的な行為らしいことは分かる。そうなると、私たちのために贖いの子羊として死なれたキリストの血を飲むことはどうなんだろう?それは子羊の贖いとしての力を消すことになるのか?という疑問がわく。しかし、イエスはわたしの血を飲めと言われた。それはすなわち、旧約時代の規定を超えたところにキリストの救いがあることを示しているのだろうか?

祈り

生ける神の子羊として自らを捧げてくださったイエス様。あなたのゆえに、たった一つのたった一回のいけにえによって、私の罪は完全に贖われ、永遠の御国への希望を持って生きることができることを感謝します。また私はその血によって聖められ、その血によって父なる神に近づき、その血によって悪魔に立ち向かうことができることを感謝します。どうか、私の内に住まわれる聖霊によって、キリストの生ける血が私たちの全身をくまなく流れ、私たちが常に霊的に健康で、また活き活きと、神と人とに喜び楽しみながら仕えることができますように。