Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

どうして霊魂のままではいけないのか?どうして栄光のからだが必要なのか?

私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。

第二コリント5章2-3節

学び

Ⅱコリント5章では肉体を持たない状態を「裸の状態」と表現し、それが人間にとってあるべき姿ではないとしている。私たちが地上のからだを脱ぎ捨てた後は、天上のからだを着なければならないというのだ。このことを理解するためには聖書における「死」が持つイメージを理解する必要がある。一般的に「死」の持つイメージは「停止である。それは「心臓停止」「呼吸停止」「瞳孔散大(対光反射停止)」の三兆候を持って人間が死んだと判断されることからも明らかだ(脳死の場合は別)。しかし、聖書における「死」の持つイメージは「分離である。であるから、聖書における人間の死は生命活動が「停止」することではなく、肉体と霊魂が「分離」することとなる。そのようにして「死」を「分離」として捉えるなら、霊魂のままで肉体と結合していない状態は「死」の状態(裸の状態)ということになる。人間が「生(命)」を持つためには「肉体」に結びつけられなければならない。さて、ここで創造主なる神は私たちに永遠の生命(いのち)を与えられる方であることを思い出してほしい。神はどのようにして私たちに永遠の生命を与えられるのか?それは私たちの霊魂を「永遠の肉体」と「結合」させることによってである。そこに私たちの個人的な「救い」の完成がある。その永遠の肉体こそ「天からの住まい」であり「栄光のからだ」なのである。

祈り

天の父なる神様。私はイエス・キリストの十字架にあって、あなたに近い者とされましたが、同時にこの肉体をまとっている間は、あなたから遠く離れている者です。それがゆえに、罪から解放されているにも関わらず、この地上においては様々な誘惑にさらされ、自分の心を聖く保つことに困難さを覚えることもしばしばです。しかし、だからこそ、私たちの地上における聖い生活には大きな価値がありますし、またそれがやがて私たちに与えられる永遠のからだの栄光につながることを信じます。さらに自らの救いの完成のために、聖くなることを追い求めます。