Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

主は地をさばくために

主は必ず来られる。地をさばくために来られる。主は義をもって世界を、その真実をもって諸国の民をさばかれる。

詩篇96:13

学び

創造主なる神が、今のこの世界をさばかれる日が必ず来る。いわゆる「最後の審判」はキリスト教において重要な教えである。へブル人への手紙の著者は「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9:27)と記し、誰もこの審判の日を免れることはできないという。ペテロは、そこで人は「申し開き」をしなければならない(ペテロ4:5)と教えた。その後、人間たちは「自分の行いに応じて」さばかれることになる(黙示録20:12)。クリスチャンの中には私はすでに救われているから「さばき」は関係ないと思ってるかもしれない。確かに「救い」に関しては私たちは「さばき」を受ける必要はないかもしれない。しかし、「報い」についてはどうだろう?二人のクリスチャンがいたとして、一方は日々善行に努めて来た人、一方は悪いことはしなかったけれども、良いことをすることにも興味がなく過ごしてきた人。どちらも天国には入れる(救われる)かもしれない。しかし、地上において天に積んできた宝(報い)にはかなりの差が出ることだろう。そして、その差は永遠に埋まることはないのだ。

祈り

私はいつあなたが来られても驚きふためくようなことのないよう、日々備えていきます。裁きの日にあなたの前に恐れおののく者ではなく、喜び踊る者となりたいのです。私はイエス様を信じることによって、すでに「救い」に預かっていることを信じています。しかし、地上における生き方が、天における「報い」に関わっていることも忘れません。日々天に宝を蓄えることに努めます。そして、なにげない日常の中に宝があふれていることを感謝します。