Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

奴隷となられたキリスト・イエス

もしその牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない。

出エジプト記21章32節

学び

12弟子のひとりイスカリオテ・ユダはイエスを引き渡す報酬としてユダヤ人指導者たちから銀貨30枚を受け取った(マタイ26:15)。ユダはイエスを殺そうと企む輩に銀貨30枚でイエスを売ったのだ。

なぜ銀貨30枚だったのか?その意味するところが冒頭の聖書箇所に記されている。それは家畜である牛が他人の奴隷をついて死なせた時、その償いとして払う定められた額だった。つまり、ユダヤ人指導者はイエスを奴隷に等しい存在とみなしたのだ。

しかし、私たちはここに神のへりくだる姿を見ることができる。私たち人類を罪の呪いから解き放つために、人となった神は文字通り奴隷(しもべ)となる運命に甘んじられたのである。私たちも神に倣う者として自らをしもべとして主に捧げよう。

祈り

主イエス様、あなたは私たちを救うために「神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり」(ピリピ2:7)この地上に来てくださいました。過ぎ越しのいけにえとして自らを捧げ、その尊い血を十字架で流してくださいました。あなたのその大いなる犠牲に感謝します。

私たちは恵みにより、信仰により、無償で救いに入れられていますが、そこには想像を絶する神の犠牲がありました。そのことを私たちが忘れることがありませんように。そして、私たちもまたこの地上においてしもべとなること、真の謙遜を身に着けることができますように。アーメン。