Devotion Log

日々聖書を読む中で学んだこと、考えたこと、また祈り

イエスを主として、自らを僕として

これらはすべてイスラエルの部族で、十二であった。これは、彼らの父が彼らに語ったことである。彼らを祝福したとき、それぞれにふさわしい祝福を与えたのであった。(創世記49:28)

学び

ヤコブは自分の12人の息子たちに、それぞれにふさわしい祝福を与えた。この出来事にローマ人への手紙2章6節の「神は一人ひとり、その人の行いに応じて報いられます」との言葉を想起した。続く7節には「善を行い、栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、永遠のいのちを与える」とある。「信仰によって永遠のいのちが与えられる」と強調するパウロが「善を行う者に永遠のいのちが与えられる」と言っているのだ。一見、矛盾しているように思えるが、聖書を良く読んでいくと矛盾はしていない。イエスを救い主として受け入れるということには、イエスを主人として受け入れること、それはすなわち、自分がイエスのしもべであると認めることも含まれている。しもべは、主人の命令に従う者であるから、そこに具体的な行いが生じるのは当然のこと。このことからも信仰と行いは不可分である。

祈り

主よ、どうぞ私をキリストの香りを放つものとしてください。良い行いの実践をとおして、世の光、地の塩として活きることができるよう、聖霊の力によって導いてください。そのようにして、自らの信仰を証していくことができますように。私の生き方そのものが福音宣教となりますように。日々イエス・キリストの似姿へと造り変えてください。聖霊に満たされること、聖霊に導かれることを、私たちが拒むことがありませんように。私を新しく造り変えてくださる聖霊様を悲しませることがありませんように。